作者:masakunさん

スーパーSF大戦外伝
アフガニスタン物語

Aパート ソ連軍




「長官、時空の不安定化をキャッチ。位置は……中央アジア、アフガニスタンです」

 GGGのメインオペレータである宇津木命の声が響く。
 その言葉を聞くや、大河GGG長官は眉をひそめた。

「まずいな。あの一帯では手の出しようが無い……」
(時空融合現象の説明放送の電波は、いままで通り各種周波数で断続的に流してあるが、あの地域では……。うまく電波を受信できればいいのだが……)

新世紀元年9月8日 融合直前時刻11時32分
アフガニスタン首都カブール

 アフガニスタン。
 ペルシア語とダリー語で“アフガーン人の土地”を意味する、パシュトゥン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人、トルクメン人などの多数の民族が住まう、多民族国家である。
 19世紀から20世紀初頭までに、かの大英帝国と三度の戦争を繰り返し、大英帝国から独立を勝ち取ったこの国は、現在ソビエト連邦軍の間接的な支配下に置かれていた。

 そんなアフガニスタンの首都であるカブールのソビエト連邦軍司令部は大混乱に陥っていた。
 その発端は、アフガニスタン全土で起こった大地震から始まる。
 大地震の後、駐留していたソ連軍アフガニスタン派遣軍は突然本国とのいかなる手段を用いた通信が途絶え、アフガン駐留軍司令官が副司令官や一部の幕僚たちとともにモスクワへ(極秘裏に)報告に出かけてしまったため、現場の混乱を収める手段に欠いていた。
 さらに、この混乱に拍車をかけたのはカブールの東に出現した謎の機甲軍団である。
 何の前触れも無く突然姿を現したこの大軍団は、赤軍の赤い星のマークをつけてはいるものの、なぜか全て第二次大戦時のものを中心とした大部隊であった。
 この異常事態に、駐留軍司令部はなんとかモスクワとの通信を回復しようと不眠不休の努力を試みていた。

 ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ヴェルエフ少将は、いつもとおなじように無線室へ足を運ぶ。
 ソ連閣僚会議附属KGB高等国境指揮学校を優秀な成績で卒業したKGB国境警備軍少将の顔には、深い疲労の色が見える。
 KGB(ソ連国家保安委員会)といえば、真っ先にイメージされるのは秘密警察であり、スパイ映画などの悪役を想像されるだろうがソビエト連邦ではKGBの職員になるというのはエリートコースに乗ったのと同じであった。
 そして、そんなKGBの任務には、西側各国の情報収集活動のほかにソ連の長大な国境線を防衛する国境警備の仕事も含まれていた。
 ソビエト正規軍とは指揮、命令系統を全く異にする国境警備軍は6万7千キ口にもおよぶ広大なソ連国境を九つの国境警備管区にわけ、領土と領海の保全にあたっていた。

 ヴェルエフは、そんなKGB国境警備軍に所属するKGB将官であった。
 彼以上の上級士官たちが丸々行方不明となり、彼が臨時の司令官となってしまった今、本国(特にモスクワ・センターと呼ばれるKGB本部)に指示を仰がなければならないことが多すぎたのだ。
 無線室へ入ると、当直の士官たちが一斉に立ち上がった。
 彼らは皆正規軍出身者であったが、ヴェルエフにはひとかどの敬意を払って接している。
 それは彼が、現場の最高責任者だからと言う点以外に、本物のソ連邦英雄であるからという点にある。

 まだ四十代後半のヴェルエフが、KGB少将という重責にいるかと言うと、彼がソ連邦英雄である点も考慮されるべきだろう。
 1969年8月13日、ソビエト連邦領カザフスタン共和国セミパラチンスク州ジャラナシュコリ居住地の東10キロの地点に、中華人民解放軍が進出したのが発端だった。
 ニキータ・フルシチョフによるスターリン批判以降、ソビエト連邦と中華人民共和国の間では関係が悪化しており、両国国境ではしばしば衝突が相次いでいた。
 そして69年の3月、その対立はダマンスキー島での武力衝突によって頂点に達する。
 カザフスタンへの中国側の侵攻は、極東で中ソ武力衝突が飛び火した結果だった。
 当時少佐に昇進したばかりだったヴェルエフは、カザフスタン国境警備軍に配属されており、国境を越えた中国軍を相手に味方が来るまで陣地を死守したという功績で、レーニン勲章とソ連邦英雄の称号が授与されたのだった。
 彼のソ連邦英雄称号授与は、残念ながら、翌月のコスイギン・周恩来会談の結果、非公式なものとなってしまったが、それでも正規軍とはいえ1945年以来まともな実戦を経験していないソ連正規軍に徴兵されたロシア兵が彼に敬意を払うのはある意味で当然だった。
 彼は手で、休めと合図すると無線機の前に座り込んでいる兵隊のそばによった。

「モスクワからの応答は?」
「いえ、まったくありません、同志少将」
「一体どういうことなんだ?」
「わたしにも何がなんだかわかりませんよ」
(本国で一体何があったんだ?)

 そう、彼らはまだ知らなかった。
 あの地震が、実は時空融合と言うとんでもない非常事態であったということを。
 たしかにそのとき空を見上げていた幾人もの兵士たちは、非常に稀な現象を肉眼で確認していたが、残念ながら司令部はこの報告に何の関心も寄せてはいなかった。
 と、そのとき、通信兵の一人がラジオをかけた。
 新たな情報が無いか、確認するためだ。
 うまくいけば、モスクワ放送を受信できるかもしれないという思いもあったのであろう。

「えー、アフガニスタンにいる皆さん。我々は日本連合……」

 と、英語とロシア語の放送が流れ始める。
 通信兵は周波数を変えようと、ダイヤルを変更するが、今度はさきほどと同じ内容がパシュトゥン語にダリー語といった言語の放送で流れ始めただけだった。

「止めろ!聞くだけ無駄だ!」

 ヴェルエフの怒声で、通信兵はラジオを切った。
 そう、このとき日本連合からのラジオ放送以外はほぼ完全に全滅していたのだ。
 時空融合現象の説明放送の電波は、各種周波数で断続的に流してあったが、残念ながらソ連軍司令部には信用されていなかったのだ。
 時空融合など、彼らに言わせれば子供だまし以外の何なにものでもないからだ。
 そこへ、司令部の前で警備を担当していたソ連兵が、何やら慌てた調子で無線室に入ってきた。

「ど、同志少将! あ、あの、お客様がお見えであります!」
「客だと? もしカルマルの使いなら追い返せ。こっちはそれどころじゃないんだ」

 バブラク・カルマル。
 今このアフガニスタンを支配している、アフガニスタン人民民主党のボスだ。
 だが、ロシア人らにしてみれば、身内であるはずの政府軍内からも裏切り者を出す上に、ムジャヒディンらによる反政府ゲリラ活動の収拾すらできないカルマルは、はっきり言えば災厄そのものであった。

「それが……あの……」
「なんだ、はっきり言え!」
「はぁ、それが、その……」
『司令官はここにいるのかね!?』
『いいから、ここを通したまえ』

 廊下から男の声が聞こえてきた。
 扉はすぐに開かれた。
 中に入ってきたのは、数名の男達だった。
 その中の二人は略式戦闘服の上に深緑色のコートを羽織っており、そのコートには大きな赤星とソビエト連邦の紋章を並べた元帥の肩章がついていた。
 さらに、彼の周りにいる下士官たちは明らかに護衛であり、だれもが雲をつくような大男ばかりであった。
 肩からPPsH-41短機関銃をぶら下げていたが、そんなものがなくてもその丸太のような腕があれば十分に殺せそうだった。
 相手の階級章を見て、ヴェルエフは慌てて敬礼をする。
 それを見てむこうもきっちりと、そのまま模範的な敬礼の見本として写真にとって教範に飾っておきたくなるような、見事な敬礼を返してくる。
 その二人の人物は、ヴェルエフが赤軍アカデミーの教本や歴史書で何度も顔写真を見たことのある人物だった。
 ソ連邦元帥の階級章、意志の強そうな顔、まちがいなくゲオルギー・コンスタンティノヴィッチ・ジューコフ ソ連邦元帥その人に間違いなかった。
 そしてもう一人は、ソ連軍歴代参謀総長のなかで、最も強力な参謀総長であり、作戦と兵站が専門部門であったジューコフのパートナー、アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ヴァシレフスキー ソ連邦元帥であった。

「同志、君達は一体何者なのかね?それとここは一体どこなんだね?」
「詳しい情報を知りたいのだ、同志少将。答えてくれるな?」




 ここで、少し時間を遡る。
 ちょうどそのときカブールから十数キロ離れたところに、すさまじい数の機甲部隊が勢ぞろいしていたが、その殆どは、第二次世界大戦時にソ連軍が使っていたT-34やKV重戦車、それにJS-2重戦車などといった旧式戦車ばかりだった。
 中にはさらに旧型のT-26やBT-7といった、第二次大戦以前から使用していた戦車の姿も見える。
 戦車だけではなく、装甲車両やトラックも同じである。
 その中にはアメリカからの贈り物である、スチュードベーカーやダッヂ、シボレー製のトラックやジープ、米軍のシャーマン戦車の姿もちらほらと見えていた。
 戦車兵や狙撃兵(ロシア軍は伝統的に歩兵を狙撃兵と呼ぶ)たちの格好も様々であった。
 その中には、開戦当初の戦闘で戦死したり行方不明になったり、ドイツ軍の捕虜となったはずの戦友の姿を見て、お互い混乱したりするケースも有った。
 先月、東部戦線全域で起こった揺り戻し現象で出現したドイツ兵たちと似たような行動が、ここアフガニスタンでも見られたのだった。
 そんな中に、幾重にも厳重に警備されたテントがあった。
 全員が、がっしりとした体格をしている雲をつく大男の、モンゴロイド系のソ連兵で、皆鋭い目つきで辺りを見渡し、何人たりともこの天幕に近づけまいとしていた。
 彼らが警備しているこのテントには、一体何があるのだろう?
 実は、そのテントの中には、ゲオルギー・ジューコフ元帥やアレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥、などといった、ソ連が世界に誇る名将たちの堂々たる顔ぶれがいたのだ。
 彼らもまた時空融合に巻き込まれて、幾つもの時代からいきなりここ中央アジアに出現したのだ。
 しかもそれは、自分たちが率いていた各戦線(方面軍)も一緒に巻き込まれてしまっていた。
 そして、その場に居並ぶソ連赤軍の将軍たちは格好がかなり異なっていた。

「さて、同志ドワトル少将? なぜ君がここにいるのかね? 君は確か41年にモスクワで戦死したはずでは?」

 テントの中、中央の座席に座っていたジューコフが、奥の末端の席に座っていた初老の将官に聞いた。

「それは私が知りたいくらいですぞ、ジューコフ上級大将閣下?」
「だから私はいま元帥なんだよ、少将」

 この将官、レオニード・M・ドワトル騎兵少将は、41年12月19日にルーザという地域でドイツ軍の機銃掃射によってその命を失ったはずなのだ。
 しかし、今ジューコフの目の前にいるツァーの陸軍将校あがりの人物は、死人どころかぴんぴんしていた。
 そして、その場にいたアンドレイ・イェレメンコ上級大将も大いに戸惑っていた。
 彼は時空融合に巻き込まれる直前まで、自分の指揮下の第4突撃軍を指揮していたはずであった。
 指揮下の軍の糧食を確保するために、第4突撃軍はドイツ中央軍集団の一大食糧倉庫であったトロペツを占領した……はずであった。
 しかし、彼の軍もまた時空融合に巻き込まれ、トロペツの町ごと時空融合に巻き込まれたのだ。
 また、この場にはキエフで全滅した南西部方面軍の司令官ブジョンヌイに、副司令官キルポノフも出席していた。

 今回の揺り戻しは、それぞれ5つの時代に影響を与えた。
 1941年〜45年の東部戦線で、各ソ連軍部隊及び都市、交戦中の一部ドイツ軍が揺り戻しに巻き込まれたのだ。

 41年では、9月にキエフで包囲された南西部方面軍(キエフ軍管区及びオデッサ軍管区が戦時体制に移行したことで統合された)と、12月5日に始まった大反撃作戦の最中にドイツ軍を大混乱に陥れたドワトル少将率いる第2親衛騎兵軍団、ドイツ軍の一大食料倉庫があったトロペツ市を占領したエリョーメンコ上級大将指揮下の精鋭、第4突撃軍が。

 42年では、41年にドイツ軍に占領されたハリコフを解放せんと集結していたセミョン・ティモシェンコ元帥の南西方面軍に、スターリングラードで勇敢に戦ったソ連海軍歩兵部隊、さらにソ連第284狙撃兵師団所属の狙撃兵たち、ソ連軍に降伏し収容所に送られるはずだった枢軸軍捕虜たちが。

 43年では、クルスク戦時に活躍した第586女子戦闘機連隊と、プロホロフカで第2SS装甲師団と戦ったロトミストロフ戦車兵中将の第5親衛戦車軍団の一部、それにドニエプル渡河作戦に使用されるはずだった第8親衛空挺軍団が。

 44年では、ウクライナの前線視察中に、ウクライナ民族主義者に襲撃された、ニコライ・ヴァトーティン将軍の前線視察部隊が。

 45年では、ドイツ第三帝国の首都ベルリンを目指し、第1、第2白ロシア方面軍を率いるジューコフ元帥・ロコソフスキー元帥らと、第1ウクライナ方面軍を率いるイワン・コーニェフ元帥らが、彼らの指揮下部隊とともに。

 これらの全てが、時空融合に巻き込まれたのだった。

「それは、私も聞きたいです。同志ヴァツーチン、あなたはウクライナでファシストに襲われたのではなかったのですか?」

 と、赤軍元帥コンスタンティン・ロコソフスキー元帥が、ジューコフの左から4番目の席に座っている丸顔の将軍に話しかける。
 時空融合の結果、現在日本連合において入渠している旧ソビエト連邦所属のミハエル・トハチェフスキー級戦艦「ニコライ・ヴァツーチン」の名前の由来であるロシアの名将である。

「それが、同志。私は確かに前線視察に向かったのですが、そのときにあの大地震があったので何も覚えてないんです」
「とにかくだ!ここがどこかもわからない、モスクワとは連絡がつかない、おまけに西には街があるが敵か味方かもわからない」

 と、参謀の誰かが叫ぶ。
 天幕の中にいた将軍たちは、次第に冷静さを失っていった。
 無理もないといえば無理も無い。
 人間と言うものは、自分の理解を超える状態に出くわせば、慌てるものである。

「諸君!落ち着きたまえ!!」

 ジューコフの一喝で、天幕内の喧騒がピタリと止んだ。

「とにかく、今の状況では何をどうしようともまとまらん。とにかく、今いる赤軍を全てまとめるのが先決ではないかね?」
「そうだな、同志ジューコフの言うとおりだ」

 立派な口髭を生やした初老がかった中年の将軍、セミョン・ブジョンヌイ元帥が相槌をうった。
 彼は赤軍騎兵部隊の育ての親ともいえる人物で、自らも内戦時に騎兵部隊を指揮し活躍をしたのだ。
 しかし、新たな騎兵である「機甲部隊」を活用し切れなかったため、1941年キエフでの戦闘で指揮下の5個軍・兵100万を壊滅させてしまったのであった。

「では同志。一体誰になさいますか?」
「やはりここは同志ジューコフ、あなたがやっていただきたい」

 と、発言したのは、ミハエル・カツコフ戦車兵大将。
 41年にモスクワを目指し進撃していたグデーリアン将軍の機甲軍を、指揮下の戦車旅団で翻弄し、モスクワ防衛のための貴重な時間を稼いだ、機甲戦のエキスパートだ。

「私もそれに賛成だ」
「私もだ」

 スターリングラード戦を指揮したワシリー・チェイコフ中将とロコソフスキー元帥が賛成する。
 チェイコフは1942年、スターリングラード死守という至上命令を授けられ、ソ連第62軍司令官に任命された将軍だ。
 彼は防衛部隊司令官に任命されたとき、街を守り抜けるかと訪ねられ際にこう答えたという。

「スターリングラードを放棄すれば、我が国民の士気を損なうでありましょう、退かないことを誓います。スターリングラードを守るか、死ぬかであります」

 そして、彼はその言葉どおり瓦礫と化したスターリングラードで、全ての部隊を一歩も退かせずにドイツ軍に多大な出血を強いて、町を守り抜いたのだった。
 そして、彼の指揮していた第62軍は、スターリンによって親衛の称号(祖国防衛の戦いにおいて顕著な戦功を挙げた部隊に付与される名誉称号であり、給与や装備などが一般師団よりも優遇される)を与えられ、同じくスターリングラードで戦った第64軍を統合し、第8親衛軍へと昇格していた。


 彼らが司令官へと推すジューコフは、独裁者スターリンからもっとも信頼された軍人で、42年にはソビエト軍最高司令官代理の地位、事実上のソ連軍No.1の地位を得た人物だ。
 そのためか、反対の声はまったく出てこないまま、ジューコフが臨時総司令官となることが決まった。
 彼と相棒のヴァシレフスキーの最初の仕事、それは西にある街、カブールに自ら赴き情報を集めることであった。

 そして、時間は戻る。  最初は大いに慌てふためいたヴェルエフであったが、落ち着きを取り戻すと、ジューコフに話し始めた。
 ジューコフは、ここがアフガニスタンであるということ、そしてどうやら自分達はなにかとんでもないことに巻き込まれたらしいということ、なぜソ連軍がアフガニスタンにいるのかということを、ニコライからわかる範囲で聞き出した。

「……にわかには信じられん話だ……」

 ジューコフがそう言うと、部屋が息を止めたかのように沈黙した。

「だが……、これだけ異常なことが起こっている限り、そのヤポンスキー(ロシア語で日本人の意味)たちの放送を信じるしかあるまい」
「たしかにそうだな、同志ヴァシレフスキー。とりあえずこの話を他の連中にも伝えなければならんな」
「となると……、ヴェルエフ君、といったかね?」
「は、はい、閣下」
「とりあえず、我々は司令部に戻って他の将軍たちと話し合ってみるつもりなのだが、同志ヴェルエフ、君も一緒に来たまえ」
「はっ!?」
「このことを他のものたちの前で説明して欲しいのだよ、同志少将」
「は、はぁ」

 あまりに突然のことに、ヴェルエフは戸惑いを隠せない。

「だが、同志ジューコフ。車はエンコしたので途中で乗り捨ててきが、どうするんだ?」
「ちっ、そうだったな」

 と、その言葉を聴いて、ヴェルエフはある提案をしてみた。

「そ、それでしたら同志ジューコフ閣下、こちらで移動手段を用意させますが?」
「ほぉ、そうかね? では頼もう」
「はい、閣下。おい、ヘリを用意させろ!Mil-24を大至急だ!」

 それから数十分後。
 Mil-24ハインドヘリコプターが、ゆっくりと上昇し、パイロットが東に進路をとると空港や町並みは遠ざかっていった。
 そのMil-24にはヴェルエフとジューコフ、ヴァシレフスキーの三人と、護衛の兵士が乗り込んでいた。
 ジューコフの護衛たちは、乗り捨てたジープのところへと、整備兵を連れて行ったので、この場にはいない。
 彼らの乗ったヘリコプターは、ジューコフの部隊がいる陣地目指してアフガニスタン上空を疾駆していた。
 そして、その彼らを護衛するためにカブール空港から数機の航空機が発進した。
 砂漠用迷彩のMiG-21戦闘機が3機、同じ砂漠用迷彩柄のSu-25攻撃機が2機。
 Su攻撃機が編隊の先頭を飛んで露払いをし、MiG戦闘機はヘリを囲むように護衛していた。

「これがヘリコプターというものか。ドイツ軍がこれを開発していたという噂は聞いていたが…」

 内部を見ながらジューコフは呟いた。
 ヘリコプターが初めて戦場に現れたのは、第二次大戦後の1948年。
 ジューコフがいた1945年では、いまだ実用化していなかった。
 そして、ジューコフは窓から外を見る。
 ちょうどMiG-21戦闘機がハインドの傍を通り過ぎ、パイロットが敬礼をするのが見えた。

「わずか40年で、技術はこれほど進歩したのか……」

 ジューコフは思わず呟いた。
 と、そのとき隣にいたジューコフの護衛役をおおせつかっていた若い将校が、軽く咳き込んだ。
 ジューコフは、そちらを向くと、その将校は軽く頭を下げた。

「ところで、君の名前は?同志中尉?」

 と、ジューコフは彼は迷彩服姿の若い将校に声をかけた。

「はっ、ユーリ・アンドレイヴィッチ・コンドラチェンコ中尉であります、元帥閣下!」
「彼は、我が赤軍最精鋭の空挺部隊レイトビキ(特殊攻撃隊)の隊員です、閣下!」

 と、ヴェルエフ少将が紹介する。
 ユーリ・コンドラチェンコ中尉の正式な所属は、ソ連軍参謀本部情報管理総局(西側名称:GRU・ロシア名称:ГРУ)の特殊部隊である、西側でスペツナズという名前で知られていた特殊部隊だ。
 コンドラチェンコ中尉は、彼の世界では彼の父親であるアンドレイ・コンドラチェンコ大将が手塩にかけて育てあげたこの部隊に入隊し、父親と同じ道を歩んでいた。

 アフガニスタンで、スペツナズが行動を開始したのは79年のことだ。
 ソ連がアフガニスタンに介入したのは、当時のアフガニスタン外相だったハフィズラ・アミンが、モスクワが政権の座に据えたヌル・ムハンマド・タラキを殺害したことが発端であった。
 79年12月24日。
 ソ連軍が本格的に介入する前に、ポヤリノフKGB大佐率いるスペツナズ部隊は、アミン暗殺作戦を開始したのだった。
 彼らは空港や道路を閉鎖し、大統領宮殿を包囲し突入した。
 彼らは少なからぬ犠牲を出したが、アミン大統領を含んだ宮殿にいたほぼ全員を殺害し、これによってスペツナズは一躍有名となった。

「そうか、宜しく頼む。コンドラチェンコ中尉」
「はっ、光栄であります!」

 Mil-24と護衛の編隊は真っ直ぐに、カブールの東へ向かい飛んでいった。





 


 後書き
 皆さん、始めまして。
 masakunというものです。
 皆さんの素晴らしい作品に刺激され、投稿させてもらいました。
 元々構想自体は2,3年まえから考えてあったのですが、私的な事情のため文書にするのが遅れてしまいました。
 また、他の投稿作家の方々のご意見を参考にし、加筆修正を重ねこのような感じになりました。

 この作品の執筆に関してご協力してくださった方々。

 山河さん 拙作のhtml化他、色々とアドバイスをしてくださいました

 ペテン師さん 登場人物などについてのアドバイスをしてくださいました

 そのほか、アイングラッドさん、こばやしさん、Yukidarumaさん、錬金術師さん、他たくさんの方々からアドバイスをいただきました。
 この場を借りて、あらためて感謝申し上げます。
 本当に有難うございました。

 それでは、次回作でまたお会いしましょう。



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