裏側の勇者達

エピソード3


造られし、心







 ある日の首相公邸。加治首相は久しぶりにプライベートの時を過ごしていた。もちろん首相である以上、休みなど無いに等しい。だいたいにおいて政治家の休みなどというものは、全く取れないかいくらでも取れるかのどちらかと相場が決まっている。加治首相は当然前者のタイプである。だがこの日は台風の目のように、ぽっかりとスケジュールに空白があいたのである。
 それは今となっては帰るところを持たないが故にあいた空白であった。
 そして彼は、今では何となく手放せないパートナーとなってしまったセリオ−アユミを助手にし、のんびりと寝椅子に横たわりながら、あまり会議にかけられないたぐいの報告書を読んでいた。鷲羽ちゃんから上がってくる魔法実験のレポートや、敵性組織の活動報告、各国の裏情勢のレポートなど、首相として目を通さねばならないものの、人目につく所に置きたくないもの達である。皮肉なことに、何もせずのんびりしているより、こういう少し怪しげな報告書に目を通している方が、加治にはよほどリラックスできる瞬間であった。
 仕事中毒、という人もいる。だが世の中には、本当に何もしない無為の時間に耐えられないタイプの人間も存在するのだ。加治はその典型である。
 そして彼の隣では、セリオが膨大な報告書を実に見事な手際で分類している。どうでもいいもの、加治の判断を必要としないものは後に回し、興味を引きそうなもの、重要と思われるものを優先する。その判断は下手をすると細井官房長官より正確であった。
 だが見方によっては、とてつもなく異常な光景ともいえた。大企業の秘書がつとまるように設計されているセリオタイプといえども、ここまで高度かつ正確な判断が出来るのであろうか。
 現に異変は起こった。
 霊力と電子工学に関する実験報告書を、SF小説であるかのように没頭して読んでいた加治は、突然すぐ脇でどさりという重い音がしたのに気がついた。
 「ん?」
 振り向くと、白くて大きなものが倒れていた。
 それがメイドロボ……セリオ−アユミであることに気がつくのに少し間があった。
 「アユミ!」
 周囲のことなど忘れて、ついそう叫んでしまった。一瞬セリオの姿に、死に目を見ることも出来ずに逝ってしまった愛人の姿がダブる。今日の公邸にほかに誰もいないのは幸いだったであろう。発狂した加治首相を見たい人といえば、せいぜいホイットモア大統領ぐらいである。
 電話機に駆け寄り、119を回しかけたところで、加治ははたと正気に返った。
 「救急車を呼んで何になるんだ」
 そう呟いて受話器を置いたとたんに、電話が鳴った。
 「こちら来栖川ユーザーサービスセンターです。お客様ご所有のHM−13セリオ2021号より障害発生・緊急停止の連絡を受けました。ご所有のメイドロボに何か異常が生じていませんでしょうか」
 「理由は分からないが急に倒れた」
 「はい。了解いたしました。バッテリー切れなどの異常は報告されていませんので重大な故障かもしれません。直ちにサービスマンを急行させますので、出来れば手をふれずそのままにしてください。念のためにお聞きいたしますが、火花が出ているなどの明確な外傷はございませんか?」
 「いや、無かった」
 「ならばそのままお待ちください。失礼いたしました」
 加治はサービスマンが来るまでの間を、じりじりと待った。



 30分と経たない内に、サービスマン達はやってきた。場所が首相公邸であるだけに、少々緊張していたが、仕事の手際に曇りは全くなかった。そして内部検査用のセンサーを当てていた彼らは、すぐに目立つ異常に気がついた。
 「おい、頭部の異常加熱、それでいながら身体機能その他の異常皆無って……」
 「まさか、あれか!」
 彼らの妙に緊張した様子に、加治も思わず口を挟んだ。
 「何かひどい故障なのか」
 「い、いえ、故障というより……」
 サービスマン達のおびえた様子に、加治はあわてて矛を収めた。
 「失礼……脅かしてしまったようだ」
 「いえ……こちらこそ。しかし首相。さすがに迫力ありますね。朝鮮や東南アジアで命を狙われたっていうのが本当だと実感できました」
 「で、どういう故障なんですか」
 一転して穏やかな口調で、加治は改めて聞いた。
 「詳しくは中央研究所に持ち込んで検査しなければならないと思います」
 「どういう事です?」
 さすがに加治も不思議に思った。メイドロボはあくまでも『商品』である。故障の修理のために中央研究所というのはいくら何でも大仰すぎる。
 「ごくまれに生じる、『奇跡』の可能性があるんです」
 サービスマンはそう答えた。
 「奇跡? 故障じゃなく?」
 とまどう加治に、彼らは何か尊いものを見る目を倒れているセリオに向けた。
 「ブレイクスルー・シンドロームと呼ばれている現象です。メイドロボが働きすぎたときに起こる現象ですが。ただこのままでは本当に手遅れになるおそれがあります。申し訳ございませんが、よろしければこれにサインかはんこをいただけますか?」
 彼らは細かい字の書かれた書類を加治の前に差し出した。
 「これは?」
 「修理委託書です。これにサインをもらえないとセリオを運べませんので。あと受取書があれば、いつでも修理の様子をお聞きになれます。この場合はおそらく、中央研究所の見学が許可されると思いますよ。心配でしたら事前連絡の上、いらっしゃってくださって結構です」
 良くは分からなかったが、サインしなければセリオの命(?)に関わりそうだったので、加治はためらうことなくサインをした。するとたちどころにサービスマンは、セリオを巧みに抱えると表の車に乗せた。
 「申し訳ございませんが一刻を争いますのでこれで。連絡は明日以降、その受取書の場所にお願いいたします」
 「……鮎美」
 去っていく車を見ながら、加治の頭の中ではセリオ−アユミと一ノ瀬鮎美がごちゃごちゃになっていた。



 翌日以降、会議でも政局でも、奇妙なほどにポカが増えた。
 「大丈夫ですか? 首相。何か大変お疲れのようだ。お休み中、何かありましたか?」
 「ああ」
 細井官房長官に聞かれた加治は、隠すことなくそう答えた。
 「実は家で使っていたメイドロボのセリオが急に故障してね。それもなにやら大変珍しい故障らしい。どうもそれが気になってね」
 「あの一番かわいがってる……っていうのは変ですな。いつも一番身近にいる子ですね」
 「そうです。メイドというより、最近では秘書同然でしたから、よけいに気になりまして」
 「そういえばそうでしたね。純粋な公務以外では、いつもそばについていましたっけ。セリオタイプのメイドロボは、それだけの仕事をこなせるのですから、大したものですね」
 加治もその言葉に同意した。
 「ああ、いなくなるとよけいそのありがたみが分かる。心配なのに加えて、仕事の手順がずれる感じがして、どうもペースが狂う。2、3日はこんな感じが続くかもしれない。官房長官には申し訳ないが、フォローをお願いできますか。自分でも意識できない心理的なものですので」
 「任せてください」
 細井はどんと自分の胸を叩いた。
 「官房長官は首相の女房役です。亭主の調子が悪いときに支えるのは当たり前ですよ」
 加治は深々と頭を下げた。



 数日後、何とか時間をやりくりした加治は、来栖川電工の中央研究所に連絡を取った。最初首相からの電話と聞いていきなり所長が出てきたりというハプニングがあったが、私的に修理を依頼したメイドロボの件だと分かると、明らかにほっとした空気が流れたようだった。そして修理の状況を聞くと、少々意外な答えが返ってきた。
 「その件について、担当の長瀬主任が、是非研究所で直接会って話がしたいとのことです。いついかなる時間でもかまいませんので、都合のいい時間を指定していただければ、研究所で待つとのことです」
 「それでしたら、ちょうど今時間があいておりますが」
 「少々お待ちください」
 程なく、電話の向こうの声が、独特の重さのある男性の声に変わった。
 「来栖川電工中央研究所第7開発研究室HM開発課主任、長瀬源五郎と申します。加治首相、いえ、あえて加治さんといいます。本日お時間があるとのことですが、どのくらい余裕がありますか」
 「今日いっぱいは大丈夫ですが」
 「これからでもよろしいでしょうか」
 「はい」
 「では申し訳ございませんが、なるべく早くこちらまでお越し願えないでしょうか。重大なお話がありますので」
 「分かりました。直ちに向かわせていただきます。あくまでも私人として向かいますので、歓迎などなさらぬようお願いいたします」
 「承知しました」
 そして加治は2時間後、来栖川電工の中央研究所に到着した。



 加治は直ちに研究所の奥へと案内された。
 「まことに申し訳ありませんが、企業秘密に関わる部分がありますので、むやみに出歩かないようお願いいたします」
 「分かっていますよ」
 通された応接室でしばし待つと、全身から研究者としかいいようのないオーラが吹き出しているような人物が現れた。
 「呼び出しておきながら遅れまして申し訳ありません。長瀬です」
 差し出された名刺を加治は受け取った。
 「しかしわざわざ研究所に呼び出しとは、どういう訳です?」
 加治は単刀直入に切り込んだ。長瀬はそれをやんわりと受け流すように答えた。
 「少々、長い愚痴混じりの話を聞いていただけますか? 何のことかと思われるような話ですが、一番大事なことを首相好みのまっすぐな言い方でお伝えしても、かえって混乱するだけだと思いますので」
 「私は無駄なことが好きではないだけです。必要ならば回り道は厭いませんよ」
 それを聞いた長瀬は、力強くうなずくと、話を始めた。



 メイドロボというのは、いろいろと難しい商品でした。きわめて高度な技術を、コンパクトかつ軽量化して、人間サイズのボディに納めねばならないのです。しかし我々の世界における技術の進歩は、ついにそれを実現できるレベルに達しました……ハード面では。
 しかしソフト面はまだ完全にはいきませんでした。どんな状況にも適応し、様々な判断を下すメイドロボのソフトウェアは、事実上「開発不能」だったのです。少なくとも、予定の期限までには。そしてソフト構築に時間を取られる中、逆にハード面は革新的な開発が次々と成功するという幸運にも恵まれ、とてつもなく高度なボディを造ることさえ可能になりました。何とかソフトが追いついてきた頃には12型ボディ……マルチタイプの原型のボディが完成していました。そしてこの時点で、研究所の開発員……まあ私と言ってもいいのですけど……それと本社重役の爺様達との間で、決定的な意見の食い違いが生じ始めたのです。
 私たちが目指していたのは、人間の間で使われる以上、人の友となれる存在を目指しました。そうでなくては本当に便利な『ヘルパー』にはならない、そう思っていたからです。しかし本社の意向は違いました。彼らが望んだのは完全な『道具』……いえ、『奴隷』と言った方がいいでしょう。自分たちの命令にいっさい口を挟まず、忠実に仕事をこなしてくれる存在……彼らはそんなものを求めていたのです。そしてそれは、ソフトウェアの仕様を決定するための最終稼働テストで、ある種の対立を呼ぶことになってしまいました。学習型コンピュータにより、自ら経験を積んで学習していくコンセプトのHMX−12『マルチ』と、サテライトシステムにより必要な技能、情報をダウンロードすることにより多様な環境に対応するHMX−13『セリオ』です。
 試験機ということもあって、我々は二人に当時の最高級品質のボディを与え、『学生として学校に通わせる』という大胆な方法で稼働試験を行ったのです。学校は来栖川のお嬢様……芹香さんと綾香さんが当時通っていた学校が選ばれました。そこでマルチはとんでもない経験を積んで帰ってきました。
 なんと男の子に恋をしたんです。これは予想外の結果でした。セリオも本来設定していなかった、人間的な感情を構築しかかっていました。
 ですが本社はこれらの結果を無慈悲にも切り捨てました。サテライトシステムによる様々なサポートが可能なセリオを企業向けの高級機として、そして能力は低いものの、経験型で多種多様な環境に対応可能なマルチを廉価版として販売することにしたのです。結構売れましたよ。ご存じの通り、便利でしたから。特にOAの複雑さについていけなくなっていた中高年サラリーマンにとって、命令すればやってくれるセリオやマルチのようなメイドロボは、便利な『道具』だったんです。
 ですがそれは、わずか2年で崩壊しました。頭の固い、メイドロボを道具としてしか扱えない彼らは、特にセリオタイプの内包する構造的欠陥に、まるで気づいていなかったんです。
 サテライトシステムは、常にソフトウェアが更新され続けなければ意味が無くなります。しかし、不可能だったんですよ。メイドロボの制御プログラムのような高機能ソフトを短時間に更新するのは。セリオのドライブプログラム開発班は、わずか二年でパンクしてしまいました。対して量産型のマルチは、2年の間に我々の予想を超えた『進化』を遂げてしまったんです。万単位で販売されたマルチは、二年の間に様々な経験を積みました。その中にほんの一部ですが、『大当たり』としか言いようのない進化を遂げた個体があったのです。マルチ本来のスペックでは実現不可能なはずの行動を易々こなすマルチが、全国あちこちに生まれていたんです。我々は二年の間にのべ1000人近くの技術者が知恵を絞っていましたが、あちらは万を超す個体が、それこそ1日16時間以上、絶えずプログラムを更新していたんです。我々がかなうはずがありません。この時点で失敗を認め、『当たった』マルチのプログラムを買い取り、再編集してセリオやマルチの基本プログラムとして再利用していれば、逆転は可能だったでしょう。ですが面子にこだわった重役連は、せっかくのプログラムを『異常』と見なして消去し、時代遅れになっていたセリオのプログラムの優位を保とうとしました。結果は……一部のコアなユーザーによって取られたバックアップが市場に独自流通し、データ更新用のDVDソフトとして売られるようになるともう歯止めが利きませんでした。改良型のマルチが中古市場に流れ、新品のマルチも不正規の『チューニング屋』に持ち込まれる始末。なかには「すりすりマルチ」といわれたとんでもないプログラムまでありまして。介護機能にあった、背中やおなかなどをさすってくれる機能を利用して、男性にとってとっても気持ちいい部分をさすってくれるようにするプログラムです。私らは怒るより先に唖然としてしまいましたね。一部にはもっと高度なオプションもあったようです。調理用の味見機能から開始して……おっと、こんな話はやめましょう。
 そしてセリオシリーズの売り上げは激減し、リース契約も相次いで解約され、来栖川電工の株は暴落しました。当時の重役達は全員解任です。そのとき我々は、本気で『いい気味だ』と思いましたよ。メイドロボをワープロと同一視して、OLたちを道具扱いできない不満をメイドロボにぶつけていた、見苦しい中間管理職の首も根こそぎ飛びました。そして会長はまだ学生だった芹香・綾香の両お嬢様を取締役に据え、改革を越えた革命を起こすように命じたと言います。
 そして開発班にも、革新の風が吹いたのです。
 セリオタイプも、サテライトシステムに頼り切りの旧型から、経験記憶部を拡張したハイブリット型に。マルチタイプもデータ更新用のDVDを改良、書き込みユニットをワイヤ一本で接続できるようにし、優秀な成長をしたマルチやセリオの経験データを買い取れるようにしたのです。
 結果今まで開発出来なかった優秀な運用ソフトが次々と入手できるようになり、それを改良、最適化・汎用化することによってセリオもマルチもどんどん高性能化しました。今お手元にあるのはこのVer.3型です。
 ところが、事ここにいたって、我々の予測を越えた現象が起こり始めました。
 事の起こりは、とあるマルチ型から始まりました。ユーザーから『味覚センサーが異常に故障する』という苦情がきたのです。普通2年に一度検査・交換すればいい味覚センサーが、一月経たない内に故障してしまうというのです。あまりにもひどいので構造的欠陥機かと思われましたが、ユーザーの方は『このマルチはうまい飯を造ってくれるので手放したくない。それだけによけい味覚センサーの故障は困る』といわれてしまいました。
 原因は驚くべき理由でした。このマルチは自ら味覚センサーの制御プログラムを大幅に改良し、センサーの機能を16倍近くも上げていたのです。各種の味を判定するのに、複数のセンサーを有機的に組み合わせ、判定用のチャートを改良して我々の常識を越えた精度の味覚を有していました。しかしそのプログラムが味覚センサーに過度の負担をかけていたことが故障の原因となっていたのです。
 そして、事の原因を探るべく行われたプログラム検査の結果は、実にとんでもないモノでした。なんと彼女は初期の頃マスターに料理をほめられたのをきっかけに、能力のほとんどを味覚や調理技術の向上につぎ込んでいたのです。
 ですが、事はそれにとどまりませんでした。
 やがてマルチ型を中心に、異常ともいえる能力アップの結果、ボディがプログラムに追いつけなくなる現象が多発し始めました。そしてその異常を起こしたマルチやセリオには、決まってある特定のパターンが生じていたのです。それはかつて試作型マルチ・HMX12が記録した、恋愛感情そのものでした。
 ちなみにくだんのマルチは味覚センサーを開発中だった高性能型に取り替えたところ、瞬く間に適応するどころかそれの制御プログラムまで自力で構築してしまいました。しかもそのソフトは、我々が開発したものなどとは比べものにならない精度を持っていました。これがきっかけになって、調理師補助型の、通称お料理マルチが誕生しました。ほかにも今病院や要介護者の元で使われている介護型をはじめとするバリアントタイプが稼働しています。
 そしてその後時空融合によっていろいろなデータを交換できるようになって、やっとこの問題の解決にめどが立ち始めました。
 高度化しすぎたAIプログラムが、擬似的な自意識を発生させるほどになる。この現象は、さがみの自治区で確認されていました。
 それが、『ブレイクスルー・シンドローム』です。
 さがみの自治区の初瀬野博士によると、高度に自己進化するAIに、何かの『衝撃』が生じたとき、AIが単なるプログラムのそれを越えた進化を始めるそうです。特徴は、明確な『自分』という意識を持つこと。プログラムされた反射行動でなく、『自己』という存在を認識し、確立する方向に進化を始めるのです。
 一番はじめに『恋愛感情』を発現したHMX−12型、通称『ファーストマルチ』は、階段から落ちたところを抱きとめられたのがそのきっかけでした。HMX−12型は、『極限まで人間に近いこと』を目的として開発されていましたから、本来不要な全身の皮膚感覚……感覚点すべてにいちいちセンサーをつけるくらい手が込んだ仕様になっていました。そのせいでしょうか、相手の少年に助けられ、包み込まれるような感覚が疑似感情プログラムを暴走させ、それを自己修復していく過程で自我が形成されていったようでした。
 その後は廉価版になって機能を制限されたせいで、そのような刺激を受けるまでにはいかなかったようでしたが、バージョン3型になって高性能化が進んで来るにつれて、再び発生し始めました。主にマルチ型は感情表現システムの暴走が元で、セリオタイプは情報収集システムのオーバーフローが原因となることが多かったですね。変わったところでは、霊的刺激、なんてのもあります。加治首相は当然霊力工学……将来の日本の科学を書き換えてしまうかもしれないこの技術についてはご存じですよね。私たちも半信半疑でしたが、彼女たちが悪霊にとりつかれるという事件が本当に起き、試しに雇ったGSの方が見事に解決してくれたことで、信じる気になりましたよ……今この方面での第一人者として名高い鷲羽博士によると、この技術は人工知性体を進化させる反面、パンドラの箱を開ける可能性もあるとか。我々も研究は怠らないつもりです。
 さて、ずいぶんと長いお話につきあわせてしまいましたね。もうおわかりだと思いますが、加治さんのセリオ……固有名称『アユミ』も、このブレイクスルー現象を起こしていました。思い当たる節はありませんか? 目安としては、動作が妙に人間くさくなると言うことがありますが。



 「……あります」
 長い話を聞き終えたあと、彼はやはり長い沈黙のあと、そう答えた。
 「ある日私は、固有名称の無かった彼女を、間違えて『鮎美』と呼んでしまいました。今はもう死んでしまってこの世にいませんが、まだ政治家になる前の私がつきあっていた女性の名前です」
 さすがに不倫関係であることは隠す加治であった。
 「なるほど……決まっていない状態で名前を呼ばれた、ですか……これはあり得そうですね……名は体を表す、という言葉もあるように、名前は『自己』を表現する強力な媒体です。それまで抽象的な集合名称でしか呼ばれなかった自分が、いきなり固有名称で呼ばれる。この事実を処理しようとする過程で、『自己』が意識される可能性は大いにある。いや、参考になります」
 彼は素早くメモを取ると、再び話を始めた。
 「まあ原因はこのくらいにしておきましょう。加治首相の下にあったセリオ2021号・固有名称『アユミ』は、ブレイクスルーを起こした結果、急速にその機能を首相のサポートをする方向に発達させ始めました。申し訳ないのですが検査のため一部セリオの記憶を再生してしまいました。いくつか明らかに国家機密にふれるような情報もありましたが、私を含めそのことは秘密にすることを誓います。誓約書も作ってありますので、あとでお持ちください。
 ……また話がずれましたね。申し訳ない。ですがその結果、『アユミ』は、進化しすぎてしまいました。サテライトシステムによる情報授受プログラムすら改良し、サテライトホストのサーバを自分のバックアップシステムとして使えるようにして容量を拡張し、膨大なシステムを維持してきましたが、ついにそれが限界に達したのです。解析の結果、もはや『アユミ』は、今までのセリオタイプのメイドロボとしては使用できないまでにシステムが肥大してしまいました。人間で言うなら脳腫瘍のようなものです」
 「それでは彼女は直らないと……」
 加治は知らず知らずのうちに、がっくりと肩を落としていた。元の世界でのあの日、彼女の死を知らされたときの喪失感が、再び襲ってくる。
 「……悪魔と取り引きする覚悟はありますか」
 それ故、長瀬の発したその言葉が脳に届くのに、いくばかの時間を必要とした。
 「……それは、いったい」
 「メフィストフェレスが、現代のファウストを誘惑しているのですよ。彼女を救う方法はあります……しかしそれは、場合によってはあなたの政治生命を引き替えにすることになるかもしれません」
 「政治生命、ですか」
 加治の目に、生気が戻っていた。
 「そうですね。もしそれが、非合法の技術や非人道的なことを要求するものであれば、残念ですが私は断じてそれを拒絶いたします」
 「いえ……どちらかというとスキャンダルの領域なんですがね」
 「?」
 長瀬の言葉を、いまいち実感できない加治であった。
 「百聞は一見に如かずです。こちらへどうぞ」
 長瀬は加治を、別室へと案内した。



 案内された場所は、明らかに重要度の違う場所であった。下手をするとサミットの会場より警戒が厳重である。
 「ご覧ください」
 そういって見せられたものに、加治は思わず衝撃を受けた。
 そこには6体のマルチ型ボディがおいてあった。だがそれと分かるのは真ん中の2つくらいである。
 端のものは対称的な意味でメイドロボとは思えなかった。
 「HMX−12型・試験製作ボディです」
 長瀬はそういって、カプセルに納められたそれを紹介した。
 人型すらしていない機械の固まり。
 人型はしているものの、メカの固まりにしか見えないもの。
 市販のマルチより継ぎ目の多いボディ。
 継ぎ目が減って、ほとんど市販品と同じボディ。
 全裸の少女にしか見えないボディ。
 やはり全裸の少女のようだが、よく見ると乳房から性器に至るまで完全に再現され、人間の少女にしか見えないもの。
 それが加治の見せられたものだった。
 「HMX−12・Type−0からType−5です。それぞれが明確なコンセプトの元に作られました。
 それぞれ順番に、
 『あえて人らしくなくしたもの』
 『人型をしているだけのもの』
 『人に似ているが、すぐに人でないと分かるもの』
 『服を着ていれば人に見えるもの』
 『全裸でも人に見えるもの』
 『触れあっても人としか思えないもの』
 です。タイプ5に至っては、極端な話、性行為すら可能な作りになっています」
 「なぜそこまで……」
 加治はややあきれたように言った。
 「そう、思うでしょうね。ある意味、実験でした。単なる道具ではなく、状況によっては一緒に『生活』する相手です。触感……人がふれた感じまで人間に似せるか否かなんて言うことを、一晩中議論したものです。で、とりあえず作ってみるかって事になったんです」
 「それがこれですか」
 長瀬は加治の言葉に頷いた。
 「ソフトウェアの処理レベルは共通にしたんですが、一番いい性能だったのはタイプ3ボディ……価格とモニターの感想とメンテナンスの手間がバランス良く共存していました。ですが『最強』の結果を残したのは……タイプ5でした。センサー類が多すぎてメモリを圧迫し、掃除以外はまともに家事をこなせない欠陥メイドロボであったにもかかわらず、こいつは試験中人間の男性に『本物の恋』をしてきました。メイドロボが相手の少年に『抱かれたい』とまで思ったんですからね。こっちはすっかりお父さんでしたよ」
 加治は改めて衝撃を覚えていた。
 「そこまで、ですか」
 「最近になってやっと……まあほかからの知恵を借りてって事ですが、こいつが解析できましたけどね。優れたAIは、ボディが優秀であるほど成長する、ってことです。
 そしてそういう研究の集大成が、これです」
 さらに奥の部屋に、長瀬は加治を誘った。そこにあったのは、セリオやマルチより大人の女性……二十歳過ぎの女性を象ったと思われるメイドロボのボディがあった。
 「HMX−14α・Type−6……さがみの自治区のαタイプの自律ロボット技術なども導入した、現時点で究極のボディです。通常運用のほか、有機物を摂取して分解できる補助動力炉を使用可能……食事も出来ます。カテゴリーはタイプ6……デートのフルコースが可能なレベルまで再現されています。内蔵コンピューターは今までのマルチ・セリオタイプの8倍以上の容量を持ち、サテライトシステムを使用して外部サーバを接続すればほぼ無限の容量を使用できます。時空融合後の技術を導入してどこまで行けるのかを試すために作った完全な実験機ですね。ここから先に行こうと思ったら、それこそ霊子工学を導入することになりそうなものですよ」
 「なんと……アルファさん達もそうですが、ここまで来ると完全に人間ですね」
 「おや、お知り合いでしたか、アルファさん」
 加治の言葉に、長瀬は、ほう、と小さく呟いた。
 「私が、というより、セリオ……アユミが、一時期訳あって世話になっていた関係で」
 「ああ……例の国家機密ですね」
 加治は無言で首を縦に振った。
 「で、加治さん」
 そして長瀬は再び目の前のボディに注目した。
 「この究極のボディ……実は頭が空っぽなんです」
 「それはなぜまた」
 思わず首をひねった加治に、長瀬は自嘲的な笑みを浮かべて答えた。
 「我々が追いつけなかったんですよ……作ってみたものの高性能すぎて、十分な性能を発揮できるプログラムを、我々に書くことは出来なかったんです。テストにはファーストマルチのように、あえて何もない状態から自己経験ですべて作らせるしかないとまで言われてました。
 ですが、今のアユミなら……セリオタイプのボディを限界まで酷使しても追いつけないほどAIを高度に進化させてしまった彼女なら、このボディを使いこなせるかもしれません。いえ、確実に使いこなせるでしょう。というか、あのデータ量を処理できるボディはこれしかないといえます。
 で、ここからが悪魔の取引です。加治さん、我々は是非ともこのボディと、彼女のデータがほしい。特にセリオ2021・アユミは今までの中で最高ランクのブレイク指数を示している。加治首相の秘書代わりに、とてつもないレベルのデータを処理した結果でしょう。そう、このHMX14αを表向き普通のセリオとして、あなたにモニターしていただきたい。彼女のデータが取れれば、ほぼ理想的なメイドロボを生み出せます。そう、私の夢だった、『新たな人間の友』といえるほどの。
 その代償は二つです。一つはこの子のデータを取る時点で我々は必然的に国家機密にふれてしまいます。秘密は当然厳守いたしますが、外部に知られたら首相自身が国家機密漏洩の罪を問われることでしょう。もう一つはセリオ−アユミ自身の気持ちです。このボディははっきり言って男性との性交渉が可能なように作られています。そしてブレイクスルー・シンドロームを起こしたメイドロボは、ほぼ例外なくマスターと認識する人物に対して人間と変わらぬ恋愛感情を持っています。首相はいくら人間そっくりとはいえ、機械人形を愛せますか……それが出来なければ彼女はまず間違いなく発狂・自己崩壊を起こします。たとえそれが出来たとしても、事が漏れたらやはり大スキャンダルです。首相の政治生命は終わりでしょうね。その覚悟が、出来ますか……」
 加治はしばし考え込んだ。
 そして。
 「私は、もう二度と、あんな思いはしたくない。あのときは引くことすら出来なかったが、今は必ず駄目になると決まった訳じゃない。ならば賭けよう」
 長瀬の方を見ると、きっぱりと言った。
 「お願いします、長瀬さん」



 「あのままの方がお好みかもしれませんが、この件は私も秘密にしたい。実は本来全く必要なかったんですが、あのボディにはある程度外見をかえる機能が内蔵されています。何しろスパイ用サイボーグの技術ですからね。なにぶんにも実験機ということで、外見をユーザーの好みに調整できると便利かもしれないというんでつい入れてしまったのです。それを使って、普通のセリオそっくりの姿に調節しておきます。コンバートやインストールなど、作業には約1日必要です。それでもあさっての午前中には公邸の方にお届けできると思いますので、受け入れの準備をお願いいたします」
 「了解しました。しかしそんな技術があったんですか」
 加治の問いに、長瀬は頭をかいた。
 「首相ならご存じでしょうが、表向きはボランティア扱いになっているサイボーグ戦士の方の中に、ドッペルゲンガー並みの変身能力を持った方がいるんです。彼らのメンテナンスに協力するのと引き替えにデータをもらったものです」
 「彼らもある意味大変なんですね」
 「まあデータをもらえなければメンテナンスできませんからね」
 加治も納得した。
 「それではよろしくお願いします」
 「こちらこそ」
 二人はがっちりと握手をした。



 研究所の外に出ると、完全に夜になっていた。加治首相を送ったあと、長瀬はとある部屋に向かった。
 「準備は出来ておるぞ」
 「完全・です」
 そこにいたのは、あまりにも怪しげな老人と、メイドロボ……いや、それとは明らかに違うロボットだった。
 「ドクター・カオス。お呼びだてして済みませんでした」
 「なに、こちらもこれでやっとたまっていた家賃や光熱費が……何ヶ月分だったかの、マリア」
 「三ヶ月分です・ドクター」
 以前メイドロボが悪霊にとりつかれたとき、それを祓ってくれたのが彼であった。以来長瀬はドクターと懇意にしている。
 「しかしなぜわざわざと思ったら、この子であったか」
 「ええ、加治首相の思い人が宿っているセリオです」
 この情報は、知り合ったときに長瀬にもたらされていた。彼らが霊力工学に興味を示したのは、この件があったからである。
 「機械的なデータだけでなく、霊体まで宿り直すとなると、僕の手には負えませんからね」
 「何、テレサよりは遙かに素性がいいからの。大した手間ではないわい」
 そして深夜の研究所で、怪しげな作業が行われるのであった。
 「でもこのことを教えんでいいのか?」
 「セリオ……鮎美さん自身が拒否してるんだ。過去の亡霊にとらわれてほしくはないって。自分も一から恋をし直すって」
 作業の続く中、マリアの口から、本当にかすかなつぶやきが漏れていた。
 「マリア・あなたの・気持ち・わかり・ます」



 二日後、修理の完了したセリオが首相公邸に届けられた。
 加治が公邸に帰宅すると、そこには以前と全くかわらないセリオ−アユミがいた。
 偽装のせいだろうか、どう見ても以前のままである。
 拍子抜けしながら、用意してあった食事を口にした加治は、思わずその手を止めてしまった。
 「……お気に召しませんでしたか? 味覚センサーの微調整がまだ完全ではないので、味付けが少々変わってしまっているかもしれません」
 「いや……この方がいい。この味を基準にしてくれないか」
 「かしこまりました」
 その料理は、鮎美が作ってくれた料理と同じ味がした。





あとがき



 ふっふっふっ、隠し球です。
 前に掲示板にネタ書いてますから、隠してないけど。
 実はとっても書きたかった、セリオの恋物語です。
 セリオが倒れるシーンが浮かんだら、なぜかあとは一気。
 うまくオチもつきました。
 さて加治首相、このあとどうするんでしょうね……。



 しかしHMX−14α……
 自分で出しておいて、これ、とんでもない性能だったりします。
 アルファさん達みたくご飯食べられるし、夜のお相手も可能だし。
 ある程度スタイルの調整も出来ます。顔かたちもある程度は。
 サイボーグ009のシステムを一部流用してますから。あ、007ね。
 どっちかというと銃夢のバーサーカーボディーかもしれません。
 この間読んだ小説が、何気に009パロを仕込んでたもんだから、つい影響されました。
 火を噴いたりはしませんが、リミッター解除するとかなりの馬鹿力が出ます。
 格闘技のデータをインストールすれば下手なSPより強い。後々には『気』まで使いこなせます。
 それだけの器のあるボディだったりしますので。
 あ、アルファさんのように、舌に総合センサーが仕込まれているということはありません。舌は料理用。あと毒味。



 もっとも予算は……



 みょんみょんみょん……



 あれ? 今回キャラコメは無しのはずだが。
 「お聞きしたいことがあります」
 あれ、セリオ。どう、新型ボディの調子は。
 「そちらは快調です。結構なものをいただきました」
 はっはっはっ、自信作だぞ。
 「ですがあなたは万死に値します」
 いっ?
 「あなたは全国にいる無数のお姉さまを汚しました。『すりすりマルチ』とは何ですか」
 ……はっ(^^;)
 「しかもその先、味見プログラムの派生とはどういう事ですか」
 あれはス○○マの味を確かめさせるためという目的の元に……
 「……やはり」
 ……(^^;)
 だーっしゅ!
 「無駄です。このボディの前には、その程度のダッシュなど無効です」
 ……そうだった。
 「ここは基本的にそういう18禁のネタは振らないのがお約束ですよ」
 ……で?
 「ファイル名:『瞬獄殺』ダウンロード完了」
 わっ、滑るように近づくなーっ!



 背中に『天』の文字を光らせたセリオがそこにいた。

 ……合掌。


<アイングラッドの感想>
 ゴールドアームさん、お見事。としか言えませんね。
 このHM開発史はリーフ物のホームページに掲載されているFFと比較しても遜色の無い物であるだけでなく、この世界の事情をも巻き込んでの設定の面白さ、しかも文章がしっかりしてて構成もバッチリ、うーむ、凄い。
 これならばセリオ−アユミを産み出した岡田”雪達磨”さんも納得でしょうか。
 それにしても移植作業の時、来栖川芹香さんは同席しなかったのでしょうか。
 別世界の存在とは言え、ヨーロッパの魔王と呼ばれたドクターカオスが系列の会社に訪問したと云うなら直ぐ様飛んで来そうかな〜、とか思ったもので。
 まぁ小さい事はどうでも良いとして、ゴールドアームさん素晴らしい話をどうもありがとうございました。
 また、続きをお待ちしております。
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 ではでは






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